大阪が遠くなったはなし

まだ失恋のはなし引きずるのかという感じですが、

えぇ引きずります。

非恋愛体質の私にとって今思うと人生2度目の失恋。好きと言われたから付き合ってみたり、顔が好きで付き合ってみたり、今までの恋愛は一つを除いて恋愛じゃなかったんだなーと今になって思う。大人になった好きってこんなもんかーはそもそも好きじゃなかったみたい。

めずらしい感情がたくさん生まれるので、残しておきます。それでは本題。


大阪が遠くなった。


好きな人に会えるのならなんばなんかほんとに一瞬で着いてたし、帰りも気づいたら京都にいた。


周りの人に驚かれても心の底から大阪って近いよ?って思ってた。

彼にも大阪住めば?って言われたりフットワーク軽いとも言われてたけど、そんなに頑張ってるつもりも無いし実際すぐ着くしそうでも無いけどなぁと思ってた。


けど、久しぶりに大阪に行くと、これがぜんぜん着かないし死ぬほど遠いしなんなら理由もなくだるい。まだ高槻かよ。


好きな人に会えるのなら平日でもただの1ミリもだるいとか遠いとか疲れてるのにとか思わなかったなぁと会えなくなった今思う。


失ってから大切さに気づくものもあれば、失ってからポジティブな感情だったことに気づくこともあるみたい。知らなかったよ。あの日々の私は相当浮かれポジティブだったんだって。


会いたいな。

なんで強がっちゃうかなぁ素直になれてたらなぁなんて今更

27歳の失恋ばなし

最近のはなし

失恋をした。

ここ数年、好きってなんやっけって思いながら日々を淡々と過ごしていたけれど、これが好きなんかな?なんて疑う余地も無くなる感情だった。
打算的じゃなくて、ただその人のことが知りたくて、そばに居たくて、けど上手く喋れなくて、冷静でいられなくて、頭から離れなくて、胸が苦しくなった。
もっと素直でいられたら、きちんと言葉で伝えられていたら、あの時こうしていれば、とたられば考え出すとキリが無いけど今目の前にある事実は、

失恋をした。

後悔は0か?と聞かれればもちろん後悔だらけだし、3日間泣き続けた。仕事中も気を抜くと涙があふれそうになるので必要以上に忙しくした。仕事が終わると堪えきれず、帰り道は人目を憚らずに泣いた。
…とはいかず、27歳なので人通りの少ない道を選んで泣きながら歩いた。

人通りの少ない道ですれ違う人はギョッとしていたけど、パンパンの目で出勤してくる私をみて先輩は「さ、いつ飲み行く?」と声をかけてくれた。

失恋の良いところは周りの人の温かさを再認識できるところで、温かい言葉に救われた。

自己肯定感の低い私だけど、周囲の人が本当に思いやりにあふれた尊敬すべき人だらけなので、この人たちが側にいてくれるってことは私も案外いいやつなのかもしれないと思えるのでいつも本当にありがとう。

涙が枯れた後も頭の中は彼の名前が浮かんでくるし、その人の匂いとすれ違うとこみあげてくるものがある。ジョーマローンのベリーのやつ廃盤になってくれやしないか。

けれど、今回わりとはやく立ち直れたのは仕事と趣味のおかげだなぁと思う。数年前の失恋時は正直半年くらい引きずったし、一人で立てなくて、いろんなところに寄りかかってなんとか立ち上がらせてもらった。それに比べると、いつのまにか自分で立てるようになっていたみたいで27歳まだまだ精神年齢は変わらないよなぁと思っていたけど自分が思っているよりちょっとは成長できていたのかもしれない。

仕事の努力は裏切らないし、趣味に触れている間は心が凪いだ。

私の中のドラマチックな失恋も文字に起こせばよくある話。読む人は退屈かもしれないけど、文字に起こして昇華させたかった。
あと、いつか忘れてしまうだろう今の気持ちを残しておきたくて。
(そんなこと言ってるけど、今すぐ会いたいし、好きって言いたいし、落ち着くって言ってほしいし、いろんな話を聞きたいし、聞いてほしいしあぁぁぁという情緒不安定さも一緒に封じ込める)